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知られざる偉人 明石元二郎
明石元二郎(1864~1919)という人物をご存じだろうか。
おそらく明治から大正の日本史を深く学んだ人か、台湾に深い興味を抱いている人くらいしかご存じないだろう。
明石元二郎を、私なりに一言で表現すると、「明治~大正時代の怪傑男子」となる。
日清、日露、第一次世界大戦という常に緊張を強いられる時代環境下で、死に物狂いに、日本の針路を開拓していった方である。

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具体的には3つの大きな仕事をされている。
(1)日露戦争下、ロシア帝国内の騒乱を図り、ロシア革命発生の種まきをした。
(2)朝鮮半島の治安水準を著しく高め、日韓合併を実現した。
(3)第7代台湾総督として、教育・司法・電化・灌漑の大事業を推進し、台湾近代化の端緒を開いた。


こう書くと、日本帝国主義、軍国主義の先駆者ではないかと思われる方も多いだろう。
しかし、そのような見方は、緻密な取材と歴史資料に基づく考察を経て書かれた本『世界の歴史を変えた日本人 明石元二郎の生涯』(清水克之氏著 桜の花出版)を読むと、払しょくもしくは軽減されると思う。
日韓併合や台湾近代化への日本の関与の是非については、さまざまな考え方があるが、いったん置いておき、本書をひもといていただけると幸いだ。
※以下の内容は、基本的には、清水氏の著作の内容に基づく。


福岡生まれの明石元二郎の、幼少時のエピソードには次のようなものがある。
・いたずらがひどく土蔵にとじこめられても、何時間経っても一向に泣きわめかず、平気な顔をしていた。
・福岡県令(今でいう県知事)が学校視察に来た時、「精神」の二文字の披書をすることになったが、「精」の字が大きく、「神」の字を半紙に書けなくなった。しかし全く慌てず、凛として畳の上に「神」を書いた。
・外見、風采はなはだ不潔。いつも鼻水を垂らし、袖で拭うため、着物の袖がいつも光っている。

士官学校時代も、周囲から「あいつは大物なのか屑なのか」と注目されたということだ。


やがて、台湾巡視などをするようになるが、そのときの考えが史料として残っている。
要約すると、「台湾の国の人々の人権を重んじず、植民地として自国との同一化をいたずらに図ることは、仁政を徳としないという印象を台湾国に与えてしまい、よくない。だから、台湾の人々の制度習慣を、できうる限り許容すべき」という考え方である。
自国のスタンダードに強制的にそわせようとする、当時の他の欧米諸国の植民地施策の考え方とは、大きく異なる考え方である。


「(1)日露戦争下、ロシア帝国内の騒乱を図り、ロシア革命発生の種まきをした。」で具体的に行ったのは、反ロシア政府地下組織のカストレン、シリヤクスというフィンランド人中心者の懐柔である。彼らに資金援助を行い、ロシアの内部崩壊を狙った。日露戦争が早く終結した理由の一つは、ロシア政府が国内混乱鎮圧に大きなパワーを注がなければならなくなったことである。山縣有朋は、明石の功績について、「数個師団の活躍にも相当する。明石は実に恐ろしい男である」と言っている。
また、明石の日本への帰国が決まった際、シリヤクスは、海岸線を描いた風景画を贈る。それには、「この絵を見る度に、欧州のフィンランドという国にシリヤクスという友がいたことを思い出してくれたならば、これほど嬉しいことはない。(中略)貴方の生涯の友コンニ・シリヤクスより」という手紙が添えられていた。

他国の方とこれほどまでの信頼関係を築けるのはどうしてなのだろうか。
詳しくは、前述の『世界の歴史を変えた日本人 明石元二郎の生涯』を参照されたい。


「(2)朝鮮半島の治安水準を著しく高め、日韓合併を実現した。」についてだが、韓国併合の是非については、ひとまず置いておく。短い文章では、論を十分に尽くすことができないからである。
韓国での明石の働きぶりを当時の部下は次のように語っている。
「何処までも徹底的に事を運ぶ。森林保護といえば個人の所有林でさえも伐採を許さない。児童の就学を奨励すれば、親の言い分が何であろうと無理にでもこれを引っ張り出す。清潔法を施行すれば塵一つも残してはならず、道路といえば田でも畑でも墓地でも構わず突き通して、苦情がどんなものであっても耳をかさない。全てはこういうやり方であった。」
このような行動は、傲慢に感じる方も多いだろう。しかし、私は当時の緊迫した半島情勢を考えると、ビジョンを持ったトップダウン、迅速な実行が必要だったのだと捉えている。翻って、今の日本は、震災という非常時でありながら、復興が遅々として進まない。これはトップダウンの欠如のためではないかと考える。



「(3)第7代台湾総督として、教育・司法・電化・灌漑の大事業を推進し、台湾近代化の端緒を開いた。」について、明石は現場主義を徹底した。必ず自らの目で現場の実態を確認することを大事にした。明石の大きな実績の一つに日月潭水力発電所の建設がある。電力需要の高さから、建設を望む声が多かったが、当時の財政状況では建設が困難であった。ここで明石はひらめく。半官半民の企業にしようと。大変斬新な発想であった。企業なので、株の売買が発生する。明石は投機熱を警戒して、「俺の友人とか親戚とかいって株を欲しがるものが出てくるかも知れん。だが、そんなものには一切取り合わないでくれ」と言ったとのことだ。自らの損得にこだわらない高潔な人格の持ち主であることが感じられるエピソードの一つだ。
また、嘉南大圳(15万ヘクタール)の灌漑事業も、財政的には困難であったが、トップダウンで着手をする。後年、嘉南大圳の完成によって、農作物の大増産が可能となり、この地は台湾一の大穀倉地帯となった。
明石の施策により、台湾近代化が大きく進んだことは、多くの人の見解が一致するところである。


1919年、明石は、自らの死期を悟り、部下に次の遺言を残す。
「もし俺の身に万一のことがあったら、この亡骸は必ずこの台北に葬るよう頼む」

部下は明石に対する思いを歌に残している。

君とはに鎮南護国の神となりてねむりたまひぬ高さごの島に   下村宏


もしご興味があれば、、『世界の歴史を変えた日本人 明石元二郎の生涯』に、さらに詳しい記述があるので、ぜひお手に取っていただきたい。
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[ 2011/08/18 02:50 ]

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コメント
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明石大佐、よく知っていますよ。
『坂の上の雲』の中では、広瀬中佐と並んで印象深い英傑ですね。
特に、あの時代に、インテリジェンスの最先端に立ち、ロシア革命促進の工作を北欧で展開していたというのがすごい。彼の活躍なくして、日露戦の勝利もなかったわけです。
ただ、ものすごいお金を使ったらしいですが。
nozomipapa * URL [編集] [ 2011/08/19 17:00 ]
--- nozomipapaさん ---

nozomipapaさん、さすがお詳しいですね! 明石氏のような器の大きな政治家が出てこなくなりましたね。震災後の今こそ出現が待望されると思うのですが。。。
マギー大島 * URL [編集] [ 2011/08/19 22:24 ]
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